2012年9月3日月曜日

初めてのテレビ

不思議 疑問

日本田舎話  思い出の話 

初めてのテレビ  
由緒ある田舎に、病院が有った。
この院長が私の住んでいた近くのお寺に間借りをしていた。
間借りといっても、当時広い部屋はお寺しか無かったのだろう。
姉は一時ではあるが、ここで女中をしていた時期が有った。

ここへ、村で始めてのテレビが来ることになった。
この院長、選挙区は違うのに、後に有名な〇〇大臣の主治医に成った。

私も、右足くるぶしに親指ほどの脂肪が溜まり手術で取り除いてもらった。
一時間ほどかかった、
指のスジがここに集まっているので、
「盲腸の手術より大変だった」と、聞いた。
今も痕が残っている、見る度に思い出す。
太ももをアメゴムで縛り、手術。
局部麻酔だったので「見ていてもいいよ」と。
メスを入れる手と無影灯の記憶がまだ残っている。
この時以来、医者に掛かったことがない。(3年前の歯医者以外は)

院長の息子は「かおるちゃん」と言って、私と年が一つ違いだった。
遊ぶ道具が違っていた。男の子である。

当時、雪の上を無線ではなかったが手元の電池で動く
戦車を持っていた。雪で小高い山を作り、登らせたり
トンネルを作りその中をくぐらせたりして遊んだ。

とても羨ましかったが、欲しい気持ちとは違っていた。
高価で、買ってもらえないのは分かっていたからだ。
一緒に良く遊んだ記憶がある。

今ではこの子が後を継ぎ、関東ではまあまあの病院の
院長に成って居るようだ。
私の母と姉が、一度こちらに十数年前におじゃました。
入院ベットは250床くらい有り、立派な病院だったと話していた。
なつかしくて、なつかしくて「など」が止まらなかったと。
「など」とは現地語で涙のことです。

ここまでは本当の話。


田舎話②
これからが本題。
この院長の家の屋根?にテレビが来た。
何かあると、村じゅうが集まる習性のある部族。
テレビなんか見たことはない。
当日、どこから聞いて来たか村じゅうが
この家に集まって外でがやがや。
まるで祭りがこれから始まらんとするような賑わい。
サ-ス-】←(聞き手が、相槌を打つ言葉)
(話し手が、冗談、大げさな話、おとぎ話をした時に使う)

夕方になると、ほぼピークに。
映画と同じように、夜どこかに投影するのかと思ったのか、
【ホー これがテレビかー】
みんなが、アンテナを静かにジット見ていたという。
     サ-ス-

これは本当の話なのか、定かでない。





注 0001) 上記画像は合成写真であり
       人物、建物とはまったく関係
       ありません。


そうのうちポツポツとテレビを持つ家が出てきた。
私も月光仮面、プロレスは見に行ったものだ。

プロレスなんかは、何かが動くのが見えるだけ。
「東京ではナー、力道山が血ー、流すのが見えるんだって」
なんていう言葉も覚えている。
確か4チャンネルだった。

良かった時代である。

その後、我が家にも白黒テレビが来た。おやじの給料の
一年分と言っていた。
(当時、40坪の家の建築費が200万円でお釣りがきたそうだ)

白黒をカラーにすると言う技術の、水の入った
プラスチック製のレンズがテレビの前に掛けれらたことも有った。
大きく見える。色がうっすら上から横に付いていた。
順番は忘れたが赤、青(みどり)、黄色だったような気がする。
色の境目はぼかしてあり、気には成らなかった。
カラーテレビ?の始まりである。

白黒の 純な銀幕 なつかしく
     今は色つき 綿無しベーゼ

(当時のキスシーンは、 脱脂綿を口の中に入れていたと聞く。
 原節子さーん、本当ですかー!!


♪ ♪ ♪
古い上衣よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの
旅の乙女に 鳥も啼

         
♪ ♪ ♪





















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