2012年4月30日月曜日

イワナ釣り 先生

私の先生 ③

坂本竜豚先生、釣りが好きで山形に別宅を買うほどの人です。確か「豚臥洞」という名で今も釣り客をもてなしてくれると思います。1泊2食付で5000円くらいです。普段は東京で仕事をしていますが予約があるとここまで出向き歓迎してくれます。あのノータリンクラブの釣りとツチノコ、河童で有名な山本素石先生も利用されたようです。
この坂本一門は皆さん豚が付きます、私も豚岐という名前をもらいました。

教わったことはまずワラジの履き方からです、水に浸しておいてから履く、一回の釣行で三足いると。この通りで初めての釣行では三足はだめになりました。確か高かった記憶も有ります。その後フェルトを地下足袋につける方法、足袋の裏の山を削りフェルトを接着剤で貼り付ける等々。(それから暫らくしてからフェルトの付いた靴が店頭でも並びました。)
 仕掛けは沢を見てから作りなさいが原則で、川幅をみて竿と道糸の長さを決める、当然針も目印もオモリも、、と成ります。今もこのやり方は守っています。
目がギョロとしてちょっとかわいい、とっても面倒見のいい先生です。

 この会の会員の時、小さい岩魚は釣らないようにみんなで標語を考えましょうということになり、私の「釣らないで待ってて欲しい育つまで」が採用されたのを覚えています。

 話はそれますが。一番最初はこの会員でガソリンスタンドを経営している方が私と一緒に釣り上がってくれました。毛の又沢だったと思います。ここで私はイワナに狂いました。私にいきなり七尾を釣らしてくれたのです。そして昼飯にインスタントラーメンをご馳走してくれました。これには又感激、あの寒い沢の中で暖かいものが、しかもイワナ入りラーメンです、とても旨かったことが記憶にあります。有る意味ではこの人が私に今のつり方、喜びの原点をを教えてくれた最初の先生かも知れませんね。

 この会の副会長との思い出は、釣りが好きで車の免許を取り車を買ったほどの人です。
うなぎ屋を経営しています。私の休みはいつでもよかったので二人で何度か新潟釣行。私はいつも助手席に。日帰り釣行が多かったです。
ある時の帰り、林道の空き地にいきなり車を突っ込みエンジンを止めたと思ったらいきなり大きなイビキ、びっくりしました。何事が起きたかと。脳卒中でも起こしたかと心配になったほどでした。
ある意味、安全運転を教えてもらいました。日曜日の夜出て朝4時現地着、そのまま寝ないで夜中に帰宅、若い頃は無茶をしたものです。


さて、この竜豚先生に酒頭(さかあたま)というあだ名のお友達がいます。私に「人生と釣り」を教えてくれた先生です。

2012年4月10日火曜日

イワナ釣り 先生

私の先生 ②

最初にイワナ釣りを教えてくれた先生は馬場さんと坂本竜豚さんです。
馬場さんと渓釣りに行くときは安心です、山登りが得意な山屋さんですから。温厚で力持ち、真冬でも半袖、寒い日車に同乗すると窓を開けますのでチョットつらいですが我慢。
キャンプ道具はほとんど背負ってもらえます。東京の野方出身ですが川釣りが好きで新潟の女性と結婚されました。
山道の歩き方は一歩一歩同じリズムでゆっくりと。山の頂上が曇って川の水に濁りが出てきたら即、高台に上りなさい。山菜(うるい)は軽くゆでて叩いてからオシタシに、あるいは味噌汁にと教えてくれました。
 山奥で育った私の義母にお土産で持って帰ったら「こんなの鶏の餌だ!」と言っていましたが、味噌汁に入れたら「これは旨いねー」と変わった。この時から婿の私の岩魚釣りを少しは理解してくれたようだ。東京生まれの馬場さんに感謝です。

とても愉快で豪快な人、冷たい川に腰まで浸かり何故かジーッとしています。どうしたのかなと思っていたら「いやー、いいこと発見したよ、ウンチは浮くんだねー、川上に向かってしていたら背中をツーとつたわって肩甲骨あたりで渦をまいて止まっていて流れなかったよー。」
一同大笑い、帰ってキャンプをしての反省会、終始この話で盛り上がりました。