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2012年9月13日木曜日

イワナ お坊さん

私の先生 ⑥

イワナ釣り

新潟のお坊さん

今日はどの沢に行くのかと思い、支度をしていると。
酒頭先生、「今日はお寺に行こう、住職に暫らく会っていないから。」
こちらは釣りたくてしょうがないのに何を言い出すのか。
まだ酔っ払っているのかなと思う。

早く朝食を済ませ、車に道具を積み込む。
間もなく、とある寺に。すばらしい構えの造りである。

御勤めを終えたばかりなのか袈裟を羽織り、
恰幅のいい住職と細面の美人奥様が出迎えてくれた。

庫裏の玄関も立派である。

囲炉裏を囲み釣り談義が始まった。

北東側には鯉の泳いでいる池が広がっている。

少しおいて奥様、お茶を茶杓に載せ銘銘に。
最後に住職に大き目の茶碗。

奥様の仕草が違う、こういう人を「所作がいい」というのでしょう。
差し出す手の動きに無駄が無く、綺麗だなーと感じた。
遠くなく、近すぎもしない隅のほうに邪魔にならずに座り、
みんなの話を優しい目で相槌。

最初は互いに緊張して硬い話。

暫らくして、岩魚はどこの沢で大きなのが、
あの沢はもう居なくなった。等々、、、。

釣りの情報が住職に、都度入ってくるらしい。
合間にお茶をすすった。
おいしい!、お寺さんはいいお茶をのんでいるんだなー。

さて鯉釣りの話題になった。
住職の口調が変わった。
よほど鯉釣りが好きなんだなーと察した。

「私はナマクサ坊主、日曜日になると竿を出している」
「釣れてくれるなー、釣れるなーといいながら竿をだす」
「釣れると一週間悩む」 「どうしてか、どうしたのか」と、
まだまだ修行がたらんと悩むそうだ。
餌を付けなければいいのか、糸をつけなければいいのかと
思い悩みながら経を読むそうである。

ところが又、日曜日が来ると何故か竿を出している。
チャンと餌も針も付けて、、、。
一同大笑い。実に楽しい話だった。

二時間はここに居た。

あー、なるほど岩魚釣りをしているよりよかった。
今日はもう釣りをしなくてもいいとも思った。
さすがに酒頭先生!!!。 

住職、東大卒後、修行したそうです。



話題のお寺とは違いますが似ています




この後、坂本先生馬場先生酒頭先生と釣りに行った。

「源頭放流をして誰も入っていない沢が有るがそこに行こう」と言われたが、
みんな口を揃えて「違う沢にしましょう」ということになった。









追記、


昨日、ミンミンゼミが11時35分から5分啼いた。
一昨日より気温が一度低い










2012年9月11日火曜日

イワナ 夜突き

私の先生 ⑤

岩魚釣り

タナゴ針  夜突き  魚籠 (麻)

友達から、仕事の関係で知り合った人を、紹介してもらった。
この島で生まれ育った人と、秘密の渓でのこと。
(30年経つがほとんどの人はこの渓は知らない)

川幅は狭い、でもこの先生、竿からビックリする。
長さが一間、2m無いのです。しぐさが素早い。

淵に向かってスタスタ、止まったと思ったら、
もう針先は川の中。あっという間に25cmの岩魚。

仕掛けを見てビックリ、目印は無し 
小さいオモリと小さい針、
あの淡水タナゴ用の針。
今でも売っている、
[あの赤いハリスのもの]である。
それから自動ハリス止めが
付いている。

ミミズの餌を付けるのだが
全部隠れて、針がどこにあるか
分からなくなる。


欠点は釣るごとに針が伸びることだ。
一匹釣り上げたら針は替えなければならない。(だから自動ハリス止めなんだ)

27cmの岩魚はちょっとむずかしいが、それ以下なら十分釣れるのだそうだ。

次は私の番。
いいポイントで4.5mの竿を慎重に出すが、釣れない。

見ていた先生、まず糸を振り込むまでに時間が長い。
それに川の石を足裏でゴリゴリこすっている。
最後に小枝をボキッと踏んだ。
全てダメということ。

釣る前にどこでスタンスを取るか考え、数メートル手前に着いたら
岩魚は、今どっち方向を向いているかを見る。
岩魚が感づいた時は、もう岩魚の目の前に餌がある状態にするのだという。
淵で大きな岩魚はテリトリーが有り、
2m四方からなら必ず素早く飛びつくそうだ。

一番気をつけなければいけないのは、手前に斥候(せっこう)がいる場合。
これもスタスタ釣方で挑戦してみるのがよいそうだ。
手前から釣り上げてもよいのだが、次の斥候が気づくと同じことだという。

大物が気づく前には、鼻面に餌を落とし、考える暇を与えないことだそうだ。

なるほど、勉強になる。



夜突き
懐中電灯とヤスをもち、夜中、川に居る岩魚にいきなり光で照らすと
岩魚は瞬間動かない。そこをヤスで突くそうだ。

昼間一匹見た淵の下の、小さい淵でもかなりの数並んで居るらしい。
アッという間に魚籠が一杯になるそうだ。

注意することは、新月の晩でないとだめ。
月が僅かでも出ていたらだめなようだ。


一度、渓の近くでキャンプをしたことがある。
月が出ていたが、岩魚の並ぶ姿を見に行こうと言うことになった。
渓に降りたとたん止めた。とにかく暗くて怖かった。

酒を飲んでいたせいもあり、怪我をしてはと諦めた。

突かないにしても、一度は岩魚が並ぶ姿を見てみたかった。
















魚籠   麻で作ってある

 この先生のお母さんに、携帯用の魚籠を作ってもらったことがある。
小さいリュックの中に入り、かさ張らず便利である。
竹の魚籠が壊れたので暫らくこれを使っていた時がある。

これは25cm四方くらいの麻で作ってある。
このままだとぺたぺたするので下の方を紐で足に
巻着付けるといい。

これを洗って干したまま宿に忘れたことがある。
次の釣りに行くときに魚籠がない、似たのが有った。
子供の弁当袋である。これを持って行ったのだが失敗だった。
岩魚の頭を叩いてシメ(絞)たと思ったが生きていた。
あれだけ叩いたのに。少し小さかった弁当袋、
背伸びをした岩魚が、口から飛び出たのだ。
スイスイ泳いで逃げていった。25cmは有ったのに。

夕方、2ヶ月振りでいつもの宿に着いた。
麻の魚籠はそのまま残っていた。
まだ、物干し竿に干したままの状態だった。






2012年8月23日木曜日

イワナ釣り 先生

私の先生 ④

イワナ釣り

釣りの先生   酒頭(さかあたま)先生 

とてもガッツがあり、酒を頭から飲むほど好きな方です。
”浴びるんじゃありません”頭のてっぺんに口が有るのです。

又、この人の親友、坂本先生曰く。
川釣り気違いで、東京で仕事をしていたが新潟の上越に婿に
行ったくらいなんだ。

春の連休、三人でお邪魔したことがあります。
「お前たちが来るから、昨日は耕運機にライトをつけて仕事をしていたよ、
近所で暗くなっても田植えをしているのは俺くらいだよ」

婿なのに囲炉裏の一番いい席に座り、かなり威張って座って、この話。

この先生、本業は別にあります。
”普段から本業も副業も仕事をきちんとしているからだなー、
連休の一番忙しいときに、翌日から2日間付き合ってもらえるんだなー”
と思った。

子供さんが、又かわいい女の子。「あととりが大変ですねー。」と、言ってみた。
そんなことはない俺みたないな、いい婿が又くればいい」 ”一同爆笑。”
奥で遠慮がちに座っていたじぃちゃんと、台所を手伝っていたばぁちゃんも
包丁持つ手を休め、思わず大笑い。

↑ EyesPicさんの作品


この先生にはいろいろ教えてもらった。
源頭放流用の岩魚(小さくてもよい)を釣りに行った時の事。

私がいくら竿を出しても釣れない。
見かねてこの先生、「竿をちょっと貸して」と、
竿を持ったと思ったら、ポイントごとに、次から次へと釣るのです。

なぜ私には釣れないのかと思った。
 足跡を見て「3時間くらい前に、先行者が来ているなー」と。
そうです、皆さんはもうご存知と思いますが、
先行者がいたら、まず釣りには成りません。

私は一番目の誰でも最初に振り込みそうなポイントに投入していたのです。
先行者のいる時は二番目のポイントを攻めることだそうです。

この先生の釣り、次のポイントでは違っていました。

「このポイントはデカイのが出るよ、やってみな」と。
当然、二番目のポイントへ慎重に竿を出すが釣れません。

一番目のポイントは上から木の枝と蔓が垂れ下がり、
そのちょっと右もいいのだが、蜘蛛の巣がびっしり。
誰も振り込めない状況。

でも、先生の竿裁きは違っていました。
餌の付いた針の部分を手に持ち引っ張り、
弧を描く竿先の反動で、真っすぐ一番目のポイントに飛ばしたのです。
枝と蔓の僅かな隙間に投入、すると再び竿は弧を描き、
大きなイワナが釣れてきたのです。私の目が丸くなります。

誰もがつり難い、一番ポイントは狙え。

又教わりまた。




 諦めることも勇気を教えてくれました。
ある時、水深は2m以上、幅が40mも有ろうか広い川、水はゴーゴーと流れている。
ここに直径80cm長さ20m位の大木が、、水面スレスレに横たわっています。

「あの木の上で釣ってみな、いいのが釣れるよ。」
  
雪解けの冷たい水、”落ちたら必ず死ぬ!”
木の近くまであと5m、足場が悪く木の根元に近づくことすら出来ません。

「だめです、無理です。」
途中で戻ってきた私に近づき「そうだ、諦める事も勇気だ」と、囁きました。

次に私の目は、今の”何これ!!”。の状態になりました。
左側のほぼ垂直の壁をスッ、スーと這い蹲り木の元へ。
それから木の先のほうへスタスタ。三分の二位のところに足を止め竿を出す。
凄い。まさしく神業である。

摑まる所は幹から出た一本の細い枝、こんな木の上で釣り始めた。
わずか15分くらいの間に、25~30cmの岩魚を5本も揚げた。
同じ場所でデカイのが何本も釣れること自体が不思議。
”普通はデカイのが一本、後は小さい20cm以下が一本釣れればいい。”
大概は、一本で終わる。

川下に居た私は仙人を見た。

あれから仕事がいき詰ると、強烈にこの言葉が頭をよぎる、”諦める事も勇気”。
以後、自分の裁量をわきまえてから、何事も判断をするようになった。


歌は最後までしっかり覚えてから歌え
あだ名のごとく酒の飲み方は半端じゃない。
その日のキャンプの夜、私もつられてかなり飲みました。
みんなが順番に歌いだす。

さて私の番。 
やっと覚えた「十日町小唄」一番だけ歌って、
火を囲み、みんなで輪になって踊った。(もちろん踊りはでたらめ)
2番目の歌詞がなかなか出てこない、
すると酒頭先生が3番まで手伝ってくれた。

歌い終わった、笑いながら火の回りに座る。

すると私に「この唄は新潟を代表するすばらしい唄だ!、
 せめて3番まで覚えてから歌え」。
「この曲はな、本当は今の東京音頭の予定だったのが、
当時の十日町市長が蹴飛ばし、今の十日町小唄を採用したんだ!」

帰ってから調べてみるとなるほどこの唄はすばらしい、
一番だけでは作詞者に申し訳ないと思った。(実際は18番くらいまであるのかな。)

同時に作曲者はあの中山晋平さんだった。
またまた教わった。

♪ ♪ ♪ 越後名物 かずかずあれど  あかしちじみに 雪の肌 
着たら離せぬ 味の良さ 
テモサッテモ ソウジャナイカ テモソウジャナイカー♪ ♪ ♪


翌朝、夜が明ける前から夕方まで釣りをし、
帰りには”こしひかり”を片手で持てないほど貰ったことを
今でもはっきりと思い出されます。



この酒頭先生に、まだ教わったことが有る。大きな川でのこと。
「岩魚はなぜか、オモリが好きなんだよなー」と小指の頭ほどあるオモリを
ワザとドボンと音をさせて振り込むことが有るのです。

そうかと思うと浅瀬の川では球浮きを付け、下にはテンカラ用の
毛ばりを付けて流すことも有りました。

この方の知り合いが、ある寺の住職でした。(次回)








2012年4月30日月曜日

イワナ釣り 先生

私の先生 ③

坂本竜豚先生、釣りが好きで山形に別宅を買うほどの人です。確か「豚臥洞」という名で今も釣り客をもてなしてくれると思います。1泊2食付で5000円くらいです。普段は東京で仕事をしていますが予約があるとここまで出向き歓迎してくれます。あのノータリンクラブの釣りとツチノコ、河童で有名な山本素石先生も利用されたようです。
この坂本一門は皆さん豚が付きます、私も豚岐という名前をもらいました。

教わったことはまずワラジの履き方からです、水に浸しておいてから履く、一回の釣行で三足いると。この通りで初めての釣行では三足はだめになりました。確か高かった記憶も有ります。その後フェルトを地下足袋につける方法、足袋の裏の山を削りフェルトを接着剤で貼り付ける等々。(それから暫らくしてからフェルトの付いた靴が店頭でも並びました。)
 仕掛けは沢を見てから作りなさいが原則で、川幅をみて竿と道糸の長さを決める、当然針も目印もオモリも、、と成ります。今もこのやり方は守っています。
目がギョロとしてちょっとかわいい、とっても面倒見のいい先生です。

 この会の会員の時、小さい岩魚は釣らないようにみんなで標語を考えましょうということになり、私の「釣らないで待ってて欲しい育つまで」が採用されたのを覚えています。

 話はそれますが。一番最初はこの会員でガソリンスタンドを経営している方が私と一緒に釣り上がってくれました。毛の又沢だったと思います。ここで私はイワナに狂いました。私にいきなり七尾を釣らしてくれたのです。そして昼飯にインスタントラーメンをご馳走してくれました。これには又感激、あの寒い沢の中で暖かいものが、しかもイワナ入りラーメンです、とても旨かったことが記憶にあります。有る意味ではこの人が私に今のつり方、喜びの原点をを教えてくれた最初の先生かも知れませんね。

 この会の副会長との思い出は、釣りが好きで車の免許を取り車を買ったほどの人です。
うなぎ屋を経営しています。私の休みはいつでもよかったので二人で何度か新潟釣行。私はいつも助手席に。日帰り釣行が多かったです。
ある時の帰り、林道の空き地にいきなり車を突っ込みエンジンを止めたと思ったらいきなり大きなイビキ、びっくりしました。何事が起きたかと。脳卒中でも起こしたかと心配になったほどでした。
ある意味、安全運転を教えてもらいました。日曜日の夜出て朝4時現地着、そのまま寝ないで夜中に帰宅、若い頃は無茶をしたものです。


さて、この竜豚先生に酒頭(さかあたま)というあだ名のお友達がいます。私に「人生と釣り」を教えてくれた先生です。

2012年4月10日火曜日

イワナ釣り 先生

私の先生 ②

最初にイワナ釣りを教えてくれた先生は馬場さんと坂本竜豚さんです。
馬場さんと渓釣りに行くときは安心です、山登りが得意な山屋さんですから。温厚で力持ち、真冬でも半袖、寒い日車に同乗すると窓を開けますのでチョットつらいですが我慢。
キャンプ道具はほとんど背負ってもらえます。東京の野方出身ですが川釣りが好きで新潟の女性と結婚されました。
山道の歩き方は一歩一歩同じリズムでゆっくりと。山の頂上が曇って川の水に濁りが出てきたら即、高台に上りなさい。山菜(うるい)は軽くゆでて叩いてからオシタシに、あるいは味噌汁にと教えてくれました。
 山奥で育った私の義母にお土産で持って帰ったら「こんなの鶏の餌だ!」と言っていましたが、味噌汁に入れたら「これは旨いねー」と変わった。この時から婿の私の岩魚釣りを少しは理解してくれたようだ。東京生まれの馬場さんに感謝です。

とても愉快で豪快な人、冷たい川に腰まで浸かり何故かジーッとしています。どうしたのかなと思っていたら「いやー、いいこと発見したよ、ウンチは浮くんだねー、川上に向かってしていたら背中をツーとつたわって肩甲骨あたりで渦をまいて止まっていて流れなかったよー。」
一同大笑い、帰ってキャンプをしての反省会、終始この話で盛り上がりました。



2012年3月30日金曜日

イワナ釣り 先生

私の先生 ①

12年前から私の釣りのスタイルが変わった。始まりはある新婚さんの奥さんから教えてもらいました。結婚前のご主人とは2度ほどご一緒させてもらいましたが本当にヘタ、いくら教えてもダメ。今度で3回目のご主人は私の先輩と、私は新婚ホヤホヤの奥さんと一緒に釣りあがることになりました。でも心は不純、最初は奥さんの着替えからです、車のドアの陰で着替えています、さて後ろを振り返るべきか、、、。先輩から借りたウエットスーツに着替えた奥さんが又すばらしいスタイル、山奥で女性との釣りも初めてです。わくわくさせながらさて沢に到着、上り始めてしばらくしていいポイント、奥さん第一投目、うまい!竿捌きが違う、それでも何かを言わなくてはいけないので「もっと右、もっと左、チョット手前、もっと奥ー。そう、そこそこいいポイントに入った。いいよ、いいよ、くるよ、くるよ」と、夜ご主人が聞いていたら怒り出しそうなセリフ。そんなこんなんで4つ目の上流のポイントへ、私は竿を出さず写真機をぶら下げ、記念にと釣りの瞬間を狙ってパシャパシャ、どうしても奥さんのお尻が画面のほとんどをしめてしまいます。さてーーー。ピシッと着こなしたウエットスーツが実にいい、絵になる、こうでなくては。頭の中は2回目の不純が。 とその時、「釣れましたー!、ヤッター!」の声。フッーと我に返り、結局、記念の瞬間を撮れなかった。残念。

ポイントに届かぬ竿の情けなさ。   ポイントに届いた竿のシナリよさ。」もう誰かが詠んでいたらお許し下さい。

竿さばきが違う奥さんに、「どこでおぼえたんですか上手ですねー。」と尋ねると
「今日で2回目です。結婚前に南米旅行でピラニアを釣ったのが最初です。」 実に今様ですね。しばらくして納竿 今日の釣果はやっぱりご主人より一尾多かった。
宿に戻り宴会を兼ねた反省会。ここで新婚さんの喜びようが違います、本当に良かった。ご主人は酒に弱く午後9時には就寝。若奥さんは午前1時まで付き合ってくれました。新婚さん用に離れを用意してもらったのですが、さてどうだったか。

私はこの釣りで発見しました。自分で釣るより同行者がこんなに喜んでくれる、そして何より酒が旨い。これが釣りだ!!!と。以前の私は人より数多く、より大きなイワナを釣り自慢していた自分がいました。以来初心者と同行することが増えました。(残念ながらこの時以来女性はいませんが)こういう時私はほとんど竿を出しません。むしろ、よーしこの人を釣り吉にしてしまえ、イワナ釣りに引きずり込んじゃえと思うのです。 たまに3人で釣り上がるときが有ります、この時も後ろでカメラを構えることが多くなりました。釣っている二人は実にイワナ釣りが好きなんだなーとか、どっちが上手いかなとか。 又ベテランの釣り師と二人だけの時もいいポイントが見つかると手前で待ち、譲るようにも成りました。自分で釣るより同行者が釣ったビデオを見ながらの酒が何より旨いのです。
今では私に別のつり方を教えてくれた新婚さんに大変感謝しています。