2013年10月24日木曜日

竜宮城⑬ がん 1

がん 癌 ①

思い出したので、横道に逸れる。
昨日早朝ラジオで癌の話題、がいいと行っていた。

私の親族は4人、癌であの世に逝った。
不思議と全員、余命三ヶ月と言われた。医者の口癖なのか。
肺炎を起こした患者、盲腸に成った人には、
必ず「もう一日遅かったら危なかった。」
これも医者のく口癖なのか、それとも学校で習うのか。
それ以上長生きしたり直ったりすると、妙に納得する。

岳父の場合は村の検診で胃に陰が有ると言われ、
東京の〇。〇〇どうびょういんに入院、かなり名医がいると有名だった。
だが、何ともないと直ぐ退院。
その半年後、又村役場の検診で陰が有ると言われた。
すぐさま東京の同じ病院に入院、今度は手遅れだと言われた。
胃の外側に癌が出来ていたので分からなかったと。
その後、一向に回復せず、川崎?で丸山ワクチンに
お世話に成ったが、だめだった。72歳だった。
タバコは吸わない酒はお猪口いっぱいでひっくり返る人だった。

義兄二人も早く逝った、一人は40代でタバコはかなり吸うが酒はまったくだめ
一人は50代、酒は浴びるほど飲むがたばこは吸わない。
この時代の患者は全てモルモットの様だった。


父の場合は80歳で逝った。
酒は浴びるほど飲み、タバコもかなり吸う。
亡くなる10年程前呆けた。と思った。
徹夜仕事をしていたところ、朝4時に家から電話が有った。
父が来ているから早く帰って来るようにと、
帰ったのは朝6時頃に成った。

下着なしで背広だけの姿で我が家にタクシーで来たようだ。
コタツの上に過去帳(持ってきていた)を並べ、戦争を経験している父は
なぜか、ABCD作戦と紙に書いてしゃべっている。
弟もこの戦争で逝っている。これを幾度も、幾度も繰り返す。
そして、ちんちんにビニール袋を被せ輪ゴムで止め
おしっこを漏らさないようにしている。
トイレに行く度これを付け直す。

仕事で打ち合わせに行かなければ成らなかった私は仕方なく仕事に行った。
帰ってきたら、近所の植木屋から私の好きだった植木を買って来ていた。
ボケているのにである、ボケが治った後、この話をすると義兄と植木屋さん
に謝りに行くからければと言い出したのでビックリしたものだ

夕方、兄が迎えに来た。嫌がる父を無理やり車に乗せ連れて帰って行った。
布団を丸めその上に布団を掛け、さも寝ているように細工して来た様だ。
バス会社に43年勤め、国から無事故無違反のトロフィーを
貰っている父だからか、呆けていてもタクシーで来れたのかと不思議に思った。

その後千葉の病院に入ったが、何せボケているので普通の病院ではだめで
呆けの病院に入る前、空きが無かったので精神病院に一週間入れられた。

やせ細りかわいそうだった、何もしてやれない、しょうがないと思った。
本人は呆けていないと思っているからか。
ここで血を吐いたのか違う病院に移った、
これが良かったのだ、胃に穴が三つ開いたと言っていたが
ボケが直った。今思い出しても不思議である。
その後、脳に腫瘍が肺に陰が有ることが分かり治療に入った。

タバコを控えるようにと言われたのか
母がよく言っていた「じいちゃんは便所に入ると必ず便所の戸を開けてくる、
20分も30分も入っている」と。
後で分かったのだがまるで高校生がするように便所でタバコを吸っていたのだ。
病院は直ぐに入院をし治療をしろといっていたようだが、結局入院しなかった。
いや、させなかった。
これが良かった、モルモットにされなかったのだ。
暫らくして父は近所の病院を止め、ラッタッタで一時間ほどの所を自分で探し、
ここに一週間に2度程通っていた。
なぜ ここにしたのか後で分かった、看護婦、先生を褒めていたから。

白い頭が又一段と白くなり母はカッコ良くなっってきた言っていた。
母は薬草を採り、煎じて飲ませていた。
甘茶蔓、ドクダミ、スギの葉(ツクシンボウの親)ヨモギ等全て混ぜ
やかんで煮出していた。
これが良かったのか、やがて髪の毛にくろいのが見え始めた。

家族みんなで旅行しようと兄弟6人とバス一台を借り切り
房総方面に旅行に行った。

亡くなる2ケ月ほど前、戦争仲間と一杯飲んでくると東京へ行き
帰って来て翌日入院した。
その後、可愛がっていた孫(私には甥っ子)が海外旅行から帰るまで
死を待っていてくれた。
父にとっては最高の竜宮城からあの世へ旅立った。











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